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記事の収蔵庫 > 昆虫担当学芸員協議会ニュース > 昆虫担当学芸員協議会ニュース5号

昆虫担当学芸員協議会ニュース5号

Published by Kana on 1995/12/15 (8625 reads)


昆虫担当学芸員協議会ニュース 5号



第4回昆虫担当学芸員協議会総会の報告


 本協議会の第4回総会が1995年8月24日(火)に北海道帯広市の帯広畜産大学で開かれた.今回は事務局(大阪市自然史博)側の行事の都合で,通常の小集会では行うことができず,大会事務局にお願いして,大会が始まる前日の評議員会後に設定させてもらった.

 総会では以下のように,地元北海道の4館から話題提供があり,活発な意見交換が行われた.当日の内容を4人の方に紹介していただくことで,記録としたい.なお,終了後には懇親会も開かれた.

 話題提供のテーマの決定,会場の手配,懇親会の準備などで吉田国吉氏(苫小牧市博物館)にお世話になった.吉田氏にお礼申し上げる.


1.北海道の山岳自然公園における昆虫相調査

   -博物館事業推進におけるネットワーク-


保田 信紀(大雪山国立公園・層雲峡博物館)


 北海道には,現在,博物館等の施設は公立,私立をあわせて300館あまりがあるが,北海道博物館協会発行の平成2年度の「北海道博物館園等現況」には220館,また同協会発行の平成6年度の「北海道博物館協会加盟館園等現況」には164館が紹介されており,道内の博物館園等の活動状況を知ることができる.その母体となっている北海道博物館協会は年1回の総会及び研修会が開催されており,本年度の第34回北海道博物館大会は松前町で開催された.また同協会の「北海道博物館協会学芸職員部会」は,本年度の総会及び研修会を苫小牧市で開催している.さらに北海道には道南・道東・道北地区といった地域単位の博物館施設等連絡協議会が組織されており,それぞれ独自の活動が展開されている.

  このように北海道の博物館園等の現況をみていると,北海道は日本でも最も博物館活動の盛んな地域のひとつとして理解される.しかし現在の北海道の市町村規模の博物館においては研究者(学芸員)の数が十分でなく,多忙雑多な博物館活動の中で,細々と本来の研究活動を続けているのが現状であろう.さらに北海道は他の都府県に比べてあまりにも広大な面積を有している(九州と四国,さらに中国地方の広島・山口両県を合わせたよりもやや広い).そのため地域に配属されている自然史系学芸員においても,その専門性のずれや経験の度合いなどから,地域の自然史資料に関する研究の結果をそれらの地域に十分に還元できない状態にある.

  これらの問題点の解決方法としては,他の外部機関や研究者との共同研究や協力体制が求められる.
層雲峡博物館では,大雪山国立公園をベースに,北海道の山岳自然公園における特に高山性の昆虫類・真正蜘蛛類の分布・生態調査を続けているが,他の関連施設との連携によるこれまでのネットワーク事業は下記のとおりである.調査地域(公園名)・調査年度・関連施設の順.

   天塩山系(天塩岳道立自然公園):1987年度,士別市立博物館
   羊蹄山(支笏洞爺国立公園):1989・1990年度,小樽市博物館・倶知安町教育委員会
   利尻山・礼文岳・サロベツ原野(利尻・礼文・サロベツ国立公園):1990・1991年度,利尻町立博物館
   知床山系(知床国立公園):1993・1994年度,斜里町立博物館・知床自然センター
   暑寒別岳(暑寒別・天売・焼尻国定公園):1995年度,留萌市 海のふるさと館

 これらの調査で得られた資料は層雲峡博物館および当関連施設に保存・活用.また,成果は「層雲峡博物館研究報告」および当関連施設・他の刊行物に報告されている.

 先にもふれたように,北海道は広大である.そして地方の多くの小規模館の学芸員は多忙な博物館活動のなかで,孤立した状態で細々と研究活動を続けているのが実態である.このような状況の中で,学芸員の自然史に関する情報のネットワ−ク化を計るとともに,北海道の自然史研究の水準を高め,その研究成果を明らかにし,さらに組織的に研究するなどの目的をもって1993年に発足したのが「北海道自然史研究会」である.現在,道内の博物館施設などの学芸員を中心に約40名の会員で組織されているが,本年度の総会および公開シンポジュ−ムは,アポイ岳のある様似町で開催された.なお本会のスローガンのひとつに,北海道の自然史研究機関の核ともなる「北海道自然史博物館」の早期実現を掲げている.


2.島と研究者をつなぐもの

-利尻島調査研究事業顛末-

佐藤 雅彦(利尻町立博物館)


 利尻島調査研究事業とは,1テーマにつき15万円という助成金を設けることによって,利尻島に関する調査研究活動を奨励し,その成果を島に環元しようという試みです.研究テーマの制限もなく,誰もが気軽に応募できるものですが,(1)当館への年報への調査報告書の執筆,(2)専門分野の普及活動を島で行うこと,などをしていただくこととなっています.

 具体的な事業の流れは,テーマの募集を科学雑誌に掲戴してもらったり,年報の送付先や大学などに案内を発送することから始まります.96年度の募集では,12月に案内を出し,2月に締切を予定しています.3月の議会の承認が出た時点で,選考と通知を行い,来島していただくことになります.この事業は1992年からはじめたものですが,北は北海道から南は沖縄まで,様々な分野の方から申込を得ることができました.毎年10から15テーマが集まり,選考では悩んでしまうことがしばしば.ちなみに95年度は,「酸性雨に対する利尻島生態系の感受性評価に関する研究」「利尻町民の長寿とライフスタイルの特徴についての調査研究」「利尻島における等脚目甲殻類の系統分類学ならびに生物地理学的研究」の3テーマを採用いたしました.

 この事業の発案には次の3つの影響がありました.
(1)大学院生が自分たちが聞きたい方を招聘して,集中講義をひらいている大学があったこと,
(2)町の文化講演会などでの講師と聴衆のギャップ(講師招聘には何百万も予算が使われている!)があり,呼ぶ・呼ばれるの希薄な関係のむなしさを実感したこと,
(3)学芸員の専門性と博物館に要求される分野の多様性のギャップ.これらのことと,自腹を切ってまで島に調査に訪れる研究者の方々のいきいきとした活動をながめているうちに,この事業をやってみようという気が起きてきたのです.

 四年間事業を続けた今,博物館の活動に幅が出てきてたり,島外からやってくる研究者の活動が地元に環元されるようになったという点では,まずまずの成功かと考えています.「利尻にフィールドを求めてくる研究者」と「専門分野の知識がほしい地元博物館」の関係は,今後もよりよいものを目指していきたいと思います.

 最近思っていることは,「博物館らしい」助成事業への発展です.今のままでは財団などの助成となんら変わりありません(助成額は何桁もえらくちがいますが…^^;) ).また,専門分野と一般とのギャップが気になるこの頃(けっこう深刻のような気もしています),従来の標本の保存・整理・調査という博物館の役割に Interpreter としての役割をそっとのせたいと考えています(小規模の博物館‐うちだけかな?-では「Interpreterもどき」に力をいれてしまいがちのような気がするので,あくまでも「そっと」「さらり」という感じです).ですから,専門分野の最前線の方と協力して,なんとか一般の方へその魅力やおもしろさを伝えることができればよいと思い,そこに「博物館らしさ」の味付けを考えています.その実現のために,単に(専門分野と一般の方との)仲人的な役割を学芸員が果たせばよいのか,またそれとも違った新しい役割を担えるのか,現在模索中であります.最後に宣伝させてもらってもよいでしようか.いままで昆虫のテーマの方が応募されたことがありませんので,利尻のフィールドに魅力を感じてらっしゃる方がいましたら,ぜひとも本事業へご応募ください!


3.博物館における教育普及事業の位置づけ

    
南 尚貴(旭川市博物館)


 近ごろ,早朝や休日に山野を散策する人々が増えています.旭川市の市街地近くにある嵐山には,北方系植物を集めた北邦野草園が開設されていることもあって,新緑が美しい5月〜6月にかけては,多くの市民が野草や鳥の観察に訪れています.人々の間に生涯学習という言葉が定着し,さらには余暇時間の増大に伴い,博物館は社会教育施設の中でも生涯学習の拠点施設と考えられています.

 旭川市博物館は,こうした社会的背景を考慮し,事業展開に当たって,調査研究に基づいた普及活動を一つの柱にしています.博物館の主要な使命は研究活動を通じて地域性を浮き彫りにすることと位置付け,その成果をどのように市民の方々に還元していくのか,その手段として教育普及に力を注ごうというものです.また,普及活動と研究活動を有機的に結び付け,市民が調査研究に積極的に参加できる環境作りを進めています.

 平成6年度には体験学習「嵐山を調べよう」を4月から11月にかけ月1回開催しました.参加者とともに身近な自然を調べ,翌年3月にその成果に基づいた企画展を開催することが目標でした.

 エゾシカの樹皮食いやキビタキ・ヤブサメの分布地図作り,カタクリの花弁数の変異などを調査し,とかく一方向的な情報提供に終始しがちな事業を双方向的な情報交換型に変える試みでもありました.

 体験学習そのものは,月1回の開催でしたが,カタクリの群落の中に変異があると,その株に目印をつけて回ってくれるご夫妻がいたり,エゾシカの食べた樹種,樹高,胸高直径を測定する方が出たりと,自ら積極的に嵐山を歩く人が出るなど予想以上の成果がありました.

 平成7年度には,同様の趣旨で「森の生態」を5月から開催しています.今年からは,月2回の開催とし,1日は討論形式による学習を,他の1日は嵐山で討論のテーマに基づいた調査を行い,より科学的な見方を習得することを目的にしています.

 こうした企画を通し,今まで何気なく見ていた自然を見直すことができ,そして疑問点を抱えて博物館を訪れるということを繰り返す中で,博物館職員と市民,そして市民の方々が交流を深める関係が築き上げられるのではないかと考えています.このような相互交流によって,博物館は情報集積地として機能し,市民の方々の真の生涯学習の拠点施設として位置付けられるのではないでしょうか.

 しかし,一人の学芸員には当然能力の限界があり,事業展開に当たってマンネリズムに陥るという弊害が生じることもあります.人々の学習意欲は年を追うごとに高まり,その知的要求,探究心は幅広い分野に広がり,また,質的にも高度なものになってきています.その受け皿の一つとなる博物館の職員については,大学で所定の単位を得て学芸員の資格を取得したとしても,その後に有効な教育を受ける機会がほとんどないのが現状です.道内において生涯学習を視野に含め,学芸員の専門性に磨きをかける体系付けられた養成施設が必要です.地域社会に学芸員を送り込んでいる大学がこの使命を負ってくれるならば,それぞれの地方博物館は非常に心強くその責務を果たすことができるのではないでしょうか.


4.博物館のネットワーク推進


吉田 国吉(苫小牧市博物館)


 発表のあらましを大まかに述べてみたい.

・全道レベルでは

 北海道の中央博物館的な立場にある北海道開拓記念館は,平成2年から平成6年までの5年間にわたり,「博物館活動交流推進会議」を開催し,道内の博物館どうしの連携を図ってきた.この推進会議では,道内を4ブロックの地域に分けてのものとあって,毎年,それぞれ存分に地域性を生かした共通課題の内容となり,北海道博物館協会などのような大きな大会とはまた,一味違った盛り上がりを見せたものとの印象が強い.その上,何よりも,これまでは近くの博物館にいても,なかなか疎遠がちだった学芸員どうしが随分と親密な関係になり,そうした人と人の連携こそが日々の博物館の仕事に反映されはじめているように思う.この5年間の大型事業の成果を踏まえ,今後どのような方向に発展していくのかが,注目されるところである.また,ただ単に傍観者としてでなくそれぞれの地方博物館が何らかの形で関わりを持ちたいとの意見も多いように思われる.

・海外展〜ニュージーランド・ネーピア市姉妹都市文化交流展から

 苫小牧市は苫小牧港,新千歳空港を抱え,海外に向けた「北の玄関口」といわれるように海外との物流も年々増加の一途をたどり,本格的な国際化が急がれている土地柄でもある.

 丁度このような折りに,平成2年,親善訪問団の団長として市長がネーピア市を訪問した時に,何か文化交流をやろうと云うことで双方が意見の一致をみ,両市の博物館相互(ホークスベイ博物館)で交流展をやることになった.第1回目は,平成5年2月,苫小牧市にて特別展「マオリ文化展〜ニュージーランド先住民の生活と文化」を開催.第2回目は,平成7年3月,ネーピア市にて「二つの島のかけはし〜苫小牧市博物館秘蔵品展」を苫小牧からの市民訪問団約200名の立ち会いのもとに開催予定.(展示資料は12月4日,苫小牧港を出発予定)

 苫小牧開催までには,数限りない手紙での打ち合わせを続けてきた.しかしながら,苫小牧港に展示資料がついてから相手側の国際法上の手続き上の不備で日本政府の通産省で通関関係書類がストップし,開催が危ぶまれたこともあった.最後は緊迫したファックスの応酬の中での開催となった.今考えると,随分無謀な綱渡りをしてきたものである.

 人口17万.学芸員5名の小規模博物館が,なぜ,このような大それた海外展が実現できたのだろうか? その理由としては,苫小牧の"国際的な総合力"を兼ね備えた地域性にあると思われる.今回の文化交流展の後援者は,地元の大手製紙会社,苫小牧〜ネーピア間の貨物船定期航路関連企業,製紙に関する現地合弁会社,地元新聞社,姉妹都市関連の苫小牧ニュージーランド協会,在苫小牧ニュージーランド名誉領事,駐日ニュージーランド大使館など.これら地元の関係機関の応援なしでは決して実現できなかったことである.ある程度信頼関係に支えられた,まさに姉妹都市交流を核とした"ネットワーキング"が功を奏した特別展であった.

(1994年11月,イコムのカルカッタ大会でこれらの文化交流事業を共同で発表しないかとの誘いがネーピア市側からあったが,当方がそうした状況になく,残念ながら実現できなかった)
          ………つぎはどんな海外展をやるのですか?………
          ………イヤー,もう海外展は当分ゴメンです………

・今後の課題

 場合によっては,やはり,ネットワークのなせる技は抜群ではないだろうか.今後は,苫小牧市の行政基盤に対する認識を深め,より広域的に自分たちのすんでいる,"知っているつもりでも実は知らなかった"という"足元の地域性"を一つの専門分野のみならず総合的な視点に立って,つねに見直しながらネットワーク化を図るべきではなかろうか.そして博物館を舞台に,人と人との輪がさらなる広がりをみせるならばこの上ない喜びである.
 これからは,社会教育主事と仲良くしたいと思う今日この頃である.

・感 想

 今回は北海道にすむ者たちによる発表となった.通常,学会にはなかなか出席できないので(北の果て,北海道にいるせいでしょうか),発表の機会をつくっていただいた事務局の粋な計らいに感謝を申し上げたい.

 発表では触れなかったが,そもそもこの小集会こそが素晴らしいネットワークの場である.みんなが集まって是非そういう風にしたいものと常日頃から考えておりました.

 私の学芸員家業は26年になります.この間,日本の博物館の移り変わりを見てきました.駆け出しの頃,当時,日本の博物館では西に故日浦勇氏(大阪市立自然史博物館),東に柴田敏隆氏(横須賀市博物館)らが第一線で活躍していた時代でした.

 私は当時から,大阪市立自然史博物館の動きに強い刺激を受けながら,なんとか蛾を追いつつ学芸員人生を続けて来たような気がします.新しい大型自然史系博物館が林立する昨今.私にとりましてはそうした思い入れの多い大阪市立自然史博物館から,学会の小集会に位置づけられた昆虫担当学芸員協議会発足の,のろしがあがったことに心から大きな拍手を送りたい.幸いなことに各地の自然史系博物館では,優秀な研究者としての学芸員がどんどん増えております.特に,この協議会がこうした若い人たちの"支え"になるような会として,一層発展することを願っている一人です.

総会参加者(50音順)

 阿部剛久(日本バイエルアグロケムK.K.),上田恭一郎(北九州市立自然史博物館),上野俊一(国立科学博物館),梅津一史(秋田県立博物館),大場信義(横須賀市自然博物館),長田勝(福井市自然史博物館),金沢至(大阪市立自然史博物館),河合正人(あやめ池自然博物館),木俣繁(山形県立博物館),佐藤雅彦(利尻町立博物館),沢田佳久(兵庫県立人と自然の博物館),巣瀬司(シラサギ記念自然史博物館),中谷康弘(橿原市昆虫館),久松正樹(茨城県自然博物館),堀繁久(北海道環境科学研究センター),南尚貴(旭川市博物館),宮武頼夫(大阪市立自然史博物館),宮野伸也(千葉県立中央博物館),保田信紀(大雪山国立公園・層雲峡博物館),柳谷卓彦(北網圏北見文化センター),山口剛(千葉県立中央博物館),吉田国吉(苫小牧市博物館),吉原一美(山口大学・農・昆虫管理).以上,23名.


毒グモ騒動顛末記

西川喜朗(追手門学院大学)    
金沢 至(大阪市立自然史博物館)


 1995年は年明け早々阪神淡路大震災,オウム事件と立て続けに大事件が起こった.これでもう打ち止めで,平穏な毎日が送れると考えていた9月頃,1頭のクモが大阪市立自然史博物館に持ち込まれた.その時には金沢は,こんな毒グモ騒動に発展するとは思いもよらず,「友の会副会長の西川先生にそのうち同定してもらえばいい」というのんびりした考えでいた.そのクモがセアカゴケグモという死亡例もある強力な毒グモであるとわかった段階で,のんびりムードは急に血なまぐさくなってきて,あの騒動へと発展するわけである.騒動が沈静化した?今,当事者しか知らない事実をここに記録して後々の参考に供したい.

発表原稿

 次の文書は,大阪科学記者クラブの幹事社である共同通信社から加入メンバー18社に11月23日の夕刻に急遽配信してもらった発表原稿である.まず目を通していただきたい.

セアカゴケグモを高石市から発見


西川 喜朗(日本蜘蛛学会会長)


 これまで日本ではクモに咬まれて人が死んだ記録はほとんどない.ところが,最近セアカゴケグモという強い毒をもつクモが大阪府に上陸したことがわかり,その危険が現実のものとなってきた.大阪湾沿いに広く定着している恐れもあるので,住民の皆さんに事実をお知らせすることにより,このクモに対する注意を喚起したい.

発見

 最初の1頭(♀)は,大阪府高石市高砂町で,同地の工場に勤務されている竹田吉郎氏(大阪市立自然史博物館友の会会員)により,9月11日に採集された.竹田氏は見慣れないクモであることから,大阪市立自然史博物館に持ち込んだ.同館でも正体が分からず,友の会副会長の西川(追手門学院大学教授)に同定を依頼した.さらに10月9日にも最初の採集場所から800メートル離れた地点で,もう1頭の♀が竹田氏により採集され,同博物館経由で西川の手に渡った.西川がこの2頭を詳しく調べた結果,セアカゴケグモであることがわかった.

セアカゴケグモ

 セアカゴケグモ(Latrodectus mactans hasselti)は,ヒメグモ科に属し,世界の熱帯から亜熱帯の国々に生息している.成熟したクモの体長は,♀8〜10mm,♂4〜5mm.♀は全身ほとんど黒色で,球形の腹部の背面中央に赤色の帯がよく目立ち,腹面にも四角形,または砂時計型の赤い模様がある.♂の腹部は細く,黒色または濃褐色,♀と同様の模様があるが,腹部背面の赤色の帯に白いふちどりがあったり,八の字形の白いすじが数本見られるものが多い.幼生は小さく,褐色で,♂と似た模様の個体が多い.

 巣は不規則なアミで,屋外の物置や玄関の外の隅,庭石の間やくぼみ,便所や水差しの如露の中に作られている,という報告がある.

 日本では八重山諸島から記録があるが,現在の定着の有無は不明である.

 攻撃性はなく,素手でつかまえないかぎり,咬まれることはない.驚かされると落ちて足を縮めて死んだふり(擬死)をする.

毒性

 ♀は別亜種のクロゴケグモ(死亡率5%)と並んで毒性が強く,アメリカ南部〜メキシコ,オーストラリアなどでの被害の報告が多い.死亡率は3%,4%,5%,12%で,オーストラリアのタスマニアではこのクモがいるが死亡例はない.このクモの多い地域では,治療薬の血清を常備しているところも多い.♂は無毒であるか,あっても毒性は弱い.クロゴケグモでは,咬まれると,症状は体質によって様々で,多くの場合は数日から数ヶ月の静養で回復するが,人によっては数日で死にいたる.

分布調査

 同定結果を受けて,分布の現状を把握するために,大阪市立自然史博物館友の会と日本蜘蛛学会の有志により,11月15日と19日に調査を行った.15日には♂1頭を含む4頭が第一発見地に近い一般道の脇の塀のくぼみから発見された.また,19日には,第一発見者の竹田氏とともに総勢10名で第一発見地の周辺を探索したところ,建物の隅,道路の側溝内,ドブのふたの裏,コンクリートブロックのすき間などから,雌雄成体幼体あわせて約50頭,卵のう約20個を採集した.高砂町の埋め立て地内の広い範囲で確認したほか,本土側の高石市千代田2丁目の墓地周辺でも生息を確認した.墓石の花立ての横の数センチの縦のすき間に約20頭が発見された.

上陸経路

 おそらく熱帯地方から来た船の積み荷について,高石市かその周辺の港から入ってきたと思われる.11月19日の調査結果から,このクモは2,3年前には上陸していた可能性が高い.

対策

 攻撃性がないので,人家のまわりに生息していても,気づかないことが多く,クモに素手でさわらないように注意さえしていれば危険はない.しかしながら,いわゆる人為分布の種類であり,死亡例もあるクモであるから,できるだけ早く退治しておくことが望ましい.また,大阪湾沿いにもっと広がっている可能性があるので,日本蜘蛛学会と大阪市立自然史博物館友の会は,有志により分布調査を続ける予定である.もしそれらしいクモを見かけたら,採集して大阪市立自然史博物館に連絡してほしい.このクモがいそうなところでは,クモを絶対に手でつかまないようにしてほしい.
 なお,大阪府環境衛生課には,早急に血清を準備していただけるよう連絡してある.

発表・展示公開

 大阪市立自然史博物館友の会会誌(Nature Study)の12月号(12月10日発行予定)に発見の報告が写真とともに掲載される.来年1月号にカラー写真とともに続報が掲載される予定である.

 大阪市立自然史博物館では,12月10日から博物館オリエンテーションホール入口で生きたセアカゴケグモ♀を展示する予定.

団体説明

日本蜘蛛学会

 会長:西川 喜朗(追手門学院大学教授)
 所在地:〒567 大阪府茨木市西安威2-1-15
     追手門学院大学生物学教室 TEL0726-43-5421
我が国唯一のクモ研究者の集う学会.定例の調査会など活発な調査活動を行っている.会員数約340名.

大阪市立自然史博物館

館長:宮武 頼夫
 所在地:〒546 大阪市東住吉区長居公園1-23 TEL06-697-6221(代)
 人と自然の関わりをメインテーマに掲げ,調査研究,資料収集保管.展示,普及教育活動をバランスよく行っている.

大阪市立自然史博物館友の会

会長:粉川 昭平(千代田短期大学教授)
 所在地:大阪市立自然史博物館内
     TEL06-697-6221(代)
 大阪市立自然史博物館を活動の中心にすえて,自然を学ぶ人たちの会で,Nature Studyという月刊誌を出版している.創立後40年の歴史を誇る日本有数の博物館友の会で,会員数は約1800名.独自の観察会や,地元大阪の自然の現状を把握する調査活動も活発に行っている.
 

問い合わせ先(電話)

クモ及び日本蜘蛛学会について:
 西川 喜朗 大学 0726-43-5421,自宅 ****-**-****
大阪市立自然史博物館及び友の会について:
金沢 至     博物館 06-697-6221,自宅 ****-**-****
(昆虫担当学芸員)


11月23日

 こういった原稿を用意して,写真の手配(18社なのでカラー写真を18枚用意する必要がある)をしながら,発表の機会を待っていたところ,次の記事が産経新聞の11月23日(木,祝)の朝刊に掲載された.

 11月15日と19日の調査に同行された友の会会員の山本博子さん(堺市在住)がこの記事に気づかれ,同じく19日の調査に同行された桂孝次郎氏(友の会評議員)にファクシミリで送付された.桂氏からその記事のことを聞いた私たちは驚きあきれたのである.発表原稿と比較してもらえば簡単にわかるが,これは伝聞に基づく憶測記事である.新聞記者にとって複数の情報源に確認して記事を書くことは常識である.産経新聞の記者はスクープを焦ったあまり,ニュース内容の確認という基本的な仕事を怠ったのである.

 まず西川は桂氏からファクシミリで送られた産経新聞の記事を見て,産経新聞に電話して記事の不明瞭の部分を問いただしたが,要領を得なかった.そして,訂正の記事を早急に載せてくれと頼んだ.しばらく後に謝罪の電話があったが,いっこうにらちがあかなかった.

 金沢は昼頃に産経新聞にセアカゴケグモの記事が掲載されていることを桂氏から聞き,その時点で西川からの発表は手遅れと考えた.実は,自宅でも産経新聞を購読しているが,掲載されていないことを不審に思ったのである.それで,山本さんに電話で訊くと,山本宅の朝刊に掲載されているとのことで,電話で読み上げてもらった.全くでたらめの記事に怒りがこみ上げた.有毒で,過去に死者も出たことがあるクモの発見記事であるから,正確な情報を住民に知らせる必要があるので,手持ちの発表原稿を科学記者クラブにより至急に配信する必要性を感じた.金沢が西川に電話でその旨を伝えた.

 そして,科学記者クラブの幹事である共同通信社の記者に電話し,日本蜘蛛学会の西川会長からのマスコミ向けの発表原稿を配信してほしいと依頼した.その時すでに共同通信社でも取材を始めており,大阪府が明日に対策委員会を開いてその席で発表すると言っていると聞いた金沢は,その席に行って発表原稿を配ってもよいと話した.その記者はとにかくその原稿を見たいと言うので,原稿をファクシミリで送ることを約束した.その後,産経新聞の記者から電話があり,「写真があればほしい」との依頼であった.その記者から,「ぎりぎりに最終版(大阪市,堺市に配達)に掲載できた」と聞く.あまりにひどい誤った記事なので,誰の情報を元に誰が書いた記事かと訊ねると,「別な記者が書いたので,自分は知らない」との答え.自分は産経新聞を購読しているが,そんないい加減な記事を掲載する新聞であれば今後は購読しないと話し,「今日の朝刊の記事は誤りでした」というコメントを載せない限り,取材協力はしないと断った.

 共同通信の記者よりセアカゴケグモの写真がほしいとの電話があり,原稿とともに持参することを約束した.博物館昆虫研究室の初宿成彦氏から電話があり,産経新聞がセアカゴケグモの資料と写真をくれとうるさいとのこと.全て金沢に訊くように言ってもらうように頼んだ.また,産経新聞は西川の自宅に謝罪に来たが,やっぱり要領が得ない.西川の写真2枚を写して帰った.

 その後,共同通信社へ急ぎ,科学記者クラブの加入各社に原稿と写真(桂氏が撮影したポジ3枚をネガで複写したものにキャプションを付加したもの)を配信してもらった.これでようやく正確な情報がマスコミ各社に提供されたのである.そして翌日の朝刊各紙に大きく報道されることになったのである.たまたま祝日で,夕刊がなかったのが幸いしたわけだ.

毒グモ騒動

 11月24日の朝刊に掲載されてから,私たちの電話は鳴りっぱなしになった.ある程度は予想していたが,それは想像を超えていた.特に科学記者クラブに加入していないマスコミ各社からの問い合わせには閉口した.誰がどうやって発見したかという基本的事項の説明にはファクシミリが活躍した.テレビ局の番組は制作プロダクションが別にあり,それぞれのプロダクションが独自に問い合わせてきたので,しかたなくファクシミリで送った.

 大阪府セアカゴケグモ対策検討委員会が開催され,西川が出席した.そして各地でゴケグモさがしが始まったのである.新聞報道などから作成したメモを紹介する.日付や地名などに誤りがあるかもしれない.

11月25日(土) 高石市千代田6丁目高陽幼稚園
   26日(日)  忠岡町新浜3丁目 小島宏文氏(友の会)発見
        泉大津市
     堺市浜寺公園町府営浜寺公園
     堺市浜寺浜寺小学校
   27日(月) 貝塚市二色
  岸和田市
  28日(火) 三重県四日市市
  和泉市
  29日(水) 泉佐野市関西空港
熊取町大阪体育大学付属中学校

12月3日(日) 富田林市梅の里
  4日(月) 八尾市西山本町西山本小学校
  泉南市
  6日(水) 沖縄県沖縄本島浦添市那覇新港(後にハイイロゴケグモとわかる)
  沖縄県宮古島(ハイイロゴケグモ?)
  10日(日) 大阪市南港南 桂氏(友の会評議員)発見(ハイイロゴケグモ)
  11日(月) 大阪市住吉区長居東
  12日(火) 神奈川県横浜市(ハイイロゴケグモ)

殺虫剤散布問題

 対策委員会で西川が強調したが,殺虫剤の使用には私たちは反対である.埋立地などの荒地の多様性の少ない地域にセアカゴケグモの分布の中心があるとはいえ,人間を含めた生物相,特に天敵相に対する影響は無視できず,海への流入も心配である.責任をもつ厚生省,各都道府県は,分布地域の把握と「素手でクモにさわらず,軍手などの手袋を着用しての作業」と咬まれた際の治療方法を住民に普及することに専念すべきである.

ハイイロゴケグモ

 マスコミへの対応に忙しい日々が続いたが,短期間にセアカゴケグモの分布がわかり,副産物もあった.ハイイロゴケグモの発見である.まず,沖縄本島の那覇新港でたくさん採れたものが,ハイイロゴケグモであることが12月10日にわかった.そして同じ10日に大阪市住之江区南港南で桂氏が採集した1♀がハイイロゴケグモであることが即日にわかった.その後横浜市でも12日に発見された.10日に南港で採集されたハイイロゴケグモに関しては,Nature Study1月号(1月10日発行,通巻500号記念号)に正式な報告が掲載される.

文献

 セアカゴケグモに関する文献で,日本語で書かれたものは下記のものがある.
西川喜朗,1976.オーストラリアの有毒のクモについて.オーストラリア研究紀要,(2):176-193.追手門学院大学オーストラリア研究所.
八木沼健夫,1986.原色日本クモ類図鑑.保育社.大阪.
梅谷献二編,1994.原色図鑑.野外の毒虫と不快な虫.全国農村教育協会.東京.

今後の課題

 セアカゴケグモに関する11月19日の生息調査により,セアカゴケグモが日本の西南部の埋立地に広く分布する可能性を心配した.実際にはハイイロゴケグモを加えた2種の分布が予想を現実のものにしつつある.また,セアカゴケグモとハイイロゴケグモ以外のゴケグモ属の別な種類がすでに侵入している可能性があるし,この2種の今後の分布の拡がりも興味深いところである.そして,天敵の調査も今後の課題である.


事務局よりお知らせ

●会費納入のお願い

 印刷・郵送の実費として,年会費1,000を申し受けております.12ページ下に表示されている振替口座までお送りください.今回お届けした封筒には支払い年度を印刷していません.申し訳ありません.

●原稿をお寄せください

 原稿を随時募集しています.事務局あてにお送り下さい.


第5回昆虫担当学芸員協議会総会のご案内


 本協議会の第5回総会を,例年どおり昆虫学会・応動昆合同大会の小集会として行います.今回の山口大会は,3年前の松本の時と同様,新年度の大会が旧年度末に行われます.講演申込の〆切が12月27日,以降は大会参加費が1000円増しになってますのでお忘れなく.

 総会の話題提供のテーマは「市民とともに歩む博物館活動」です.このテーマは,これまでにも何度か候補にあがってきましたが,それがついに実現することになりました.市民との関わりは館によっていろいろ事情が異なり,切実なものとなっていることと思います.地元2館(倉敷市自然史博と山口県山口博)での活動状況に加えて,実績のある平塚市博の事例,また欧米の大規模館における活動についての紹介もありますのでお楽しみに.
 

 記

  会場:山口大学(山口市大字吉田1677-1)
   日本昆虫学会第56大会・第40回日本応用動物昆虫学会大会合同大会会場
 
  日時:1996年3月27日(水)あるいは29日(金)の小集会で行います.

話題提供:「市民とともに歩む博物館活動
1.昆虫標本作りボランティアの現状
奥島 雄一(倉敷市立自然史博物館)
 当館では,蓄積される一方の四角紙・三角紙標本を博物館資料として使える状態にするため,3年前から標本整理のボランティアを募集し,活動しています.その成果や問題点について報告します.

2.80年目の取り組み
     三時 輝久(山口県立山口博物館)
 友の会もボランティア組織も無しという,80年間にわたって孤高の姿勢を貫いてきた(?)博物館が,中古とはいえ活動の拠点を手に入れました.後進館の実状をお話しすると共に,新たな取り組みへのご指導をお願いします.

3.欧米の博物館におけるボランティア活動
  上田 恭一郎(北九州市立自然史博物館)
 スミソニアン自然史博物館及びアメリカ自然史博物館を例に,ボランティアの人数やその活動内容などと共に,欧米におけるボランティアについての考え方を紹介します.

4.セミのぬけがら調べを通した博物館活動
      浜口 哲一(平塚市博物館)
 セミをテーマにした普及行事をきっかけにして,市民参加による調査活動,組織的な資料収集,近隣都市の他施設とのネットワークの形成,などが有機的に展開できたことを報告します.

昆虫担当学芸員協議会ニュース 5号 (1995年12月15日印刷・発行)
発行:昆虫担当学芸員協議会
事務局:大阪市立自然史博物館昆虫研究室
     (宮武頼夫,金沢 至,初宿成彦)
     〒546 大阪市東住吉区長居公園1-23
     TEL 06-697-6221(代) FAX 06-697-6225
     振替口座:00920-6−138616 昆虫担当学芸員協議会


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